magazine 人

みんなの幸せを祈ること、それが神職のつとめ


主祭神「宇奈根命(うなねのみこと)」は水と穀物の神。
宇流冨志禰神社の名の由来は、御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にあること、稲が実って穂がうねるという豊作の意味と諸説あります。

その昔、第10代天皇 崇神天皇(紀元前97~30年)の時代までは天皇と天照大神は「同床共殿」であったといわれています。
すなわちそれまで 天照大神は皇居内に祀られていましたが、崇神天皇の時代に疫病が流行り多くの民が亡くなりました。そのことを畏怖し厄災を鎮めるべく、皇女である「豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)」と、その後の継承者である第11代天皇 垂仁天皇の皇女「倭姫命(やまとひめのみこと)」が大和国から理想的な鎮座地を求め元伊勢(伊賀・近江・美濃・尾張など)を巡幸しました。そして、およそ90年という歳月をかけて天照大神は伊勢の地にご鎮座することになりました。
宇流冨志禰神社境内には鹿の像があります。
これは大和国から鹿に乗って、元伊勢であるこの社を訪れたことを表しているといわれています。

境内地の石燈篭…元久2年(1205年)
天正伊賀の乱<第1次>…天正6~7年(1578~1579年)
※安土桃山時代、1580年に焼き討ちにあい社殿・宝物・古文書消失
天正伊賀の乱<第2次>…天正9年(1581年)
大坂冬の陣…慶長19年(1614年)
大坂夏の陣…元和元年(1615年)
宇流冨志禰神社再建…元和2年(1616年)

 

神職に就くなんておもってもいなかった

宇流冨志禰神社の17代神職の家に3人姉妹の3女として生まれた中森千佳さん。
幼い頃はセーラームーンの火野レイことセーラーマーズにシンパシーを感じ「私は巫女さんになるんだ!」という想いがあったという。
しかし、そんな気持ちも成長するにつれ当然薄れていった。
自身も子供であったことから、じきに 神職なんて古臭いイメージしかないと思うようになり、そもそも父親が何をしているのかさえ知らずにいた。
なんだかずっと家にいるし、『きっとお父さんは働いてないねんやろな…。』そんな風に感じていたという。

短大卒業後は、料理好きという性格もあって専門学校へ通い、調理師免許を取得したのち栄養士として働きだした。
二人の姉もそれぞれ専門職へとすすみ、千佳さん自身その後神職に就くとは思いもしていなかったと語る。

社会人として働きだしたものの、職場に馴染めないと感じていた二十歳の頃。
神社は、16代宮司である祖父が倒れ人手の足りない状況になっていた。自身も人との折り合いの中で鬱々としていた矢先であった。
宮司である父親から「松生さん(現在、赤目の八幡神社の女性宮司)と一緒に資格をとっといたらどうや?取りに行くだけでいいから。」と提案される。“まぁ、資格を取るくらいなら別にいいか”という軽い気持ちで入ったのがきっかけだった。
いざ資格を取ると、本人の意識とは別に神社でできる仕事は大いに増えた。
何かとすることは多く、家業の手伝いとして神職の道にするすると導かれていく。
そうすると、もう一段上の位を取得することに……。
流れに沿って自然と境遇が運ばれだした。

代々伝わる、絶え間なく続く神事

年間を通して神事や行事は絶え間なく続く。
特に神社の3大祭として、祈年祭・新嘗祭・例大祭がある。

そのうちの「例大祭(秋祭り)」を例にとってみてもその労ははかり知れない。
宮司は祭事の1週間前から祭りが終わるまでの間、四足の獣の肉を絶つことから始まる。
10月17日、例大祭で潔斎に使う神水を頂きに伊勢神宮まで赴く。その際、旬の品々でこしらえる料理が詰まったお弁当とお酒を携えていき、内宮本殿でお弁当を開けて供えるという宇流冨志禰神社独自の儀式がある。
同時に儀の禁忌として、鳥居をくぐった瞬間から声を発してはいけないというきまりもあり一切の言霊を封印する。
神宮での一連の儀式を終えると、一升瓶に詰めた神水を本社に持ちかえり、同じお弁当とお酒を拝殿に供えた後、神事に携わる人たちでいただく。
これは神宮の神と「同じ釜の飯を食う」という意味を込めた習わしだという。そして
「神宮でお水をいただいてきました。この水を使ってお祭りをしますので、事故のないように秋祭りが滞りなく終わるまで見届けてください。」
と、ご報告を終える。
そうしてはじめて宮司は日常の会話に戻れるという。

神事は精神力もさることながら体力勝負でもある。そんな宇流冨志禰神社に伝わる祭式の説明をしてくれたあと、
「私も宮司見習らしいことしてるでしょ!」
そう言い、はにかみの表情を見せて場を和ませた。

おおらかで明るい性格の千佳さん。その中に物おじしない芯の強さが伺える。

「そんな私を作ってくれたのは皆さんですよ(笑)」

謙遜しつつも、小気味いい一面をのぞかせた。

神社を多世代が交流する集いの場に

過去2年連続で、夏休みの最終日曜日に境内で「うるふしね夏祭り」と題したイベントが開催されており、中森さんもイベント主催される方のお手伝いをしている。
フラダンスやハンドメイド雑貨の販売などを企画。特に流しそうめんは子供からお年寄りまで好評だ。
「神職としては、神社にお参りに来てくれた方々が“幸せになれるように悪いことが起きないように”と本人に代わって神さんにお願いする資格を与えられているだけなんです。他に何かできる訳じゃない。
だから、普段の私本来の時に神社でみんなの為にできることがあればいいなと思ってお手伝いを始めました。美味しかったよと喜んでもらえると“手伝ってよかったな”と心の支えになります。」

色々な人と出会い新しい試みを始めてみたら、その楽しさやみんなが来てくれることの喜びを知った。
神社におじいちゃんやおばあちゃんがお茶を飲みに来たり、子供たちが年長者から昔の遊びを教わったり、皆の集いの場として楽しみが作れればいいと目を細める。

現在千佳さんは第2子を懐妊中で、この夏出産予定だ。

七五三などで参拝に連れてこられた子供が、じっとしているのが辛そうな姿を見ると少しでも喜んでもらえるにはどうすればいいかと想いを巡らす。
お参りに来たあと家に帰った時に、親御さんが「あれ?この子ちょっと変わったね」と思ってもらえるにはどうアプローチすればいいか、様々な想像を膨らませ考えながら仕事ができるようになった。
子供たちの顔と名前を記憶し、一人一人に声をかけ名前を呼びかける。
退屈そうにしていた子も、不意に名前を呼ばれるとスッと背筋が伸びるという。そんな細やかな気配りも彼女ならではの発想だ。

安産祈願では、千佳さんにお祈りしてもらいたいという参拝者が多くなってきたという。
「そう言ってもらえると本当にうれしい。これから私もお腹がどんどん大きくなるけど、臨月ぎりぎりまで仕事しようと思っています。」

皆の幸せを祈り、習わしを伝承していく

現在では、女性宮司は増えつつある。とはいえ、やはり全国的にまだまだ数は少ない存在だ。
千佳さんが神職に就いた初めの頃は、単に若い女性という事で嫌厭されたり、小娘に祈祷されたくないと拒絶されたこともしばしばあったという。
親の七光りだと非難され、悔しい思いで泣いて帰ると父親からは「いちいち泣くな」と諭され、親子で言い争いになったことも。

「10年経って、ようやく皆さんにも認めてもらえるようになってきたかな。」かつてをそう述懐する。

父の背中を見て育ち、父と行動を共にし、初めてその偉大さを思い知った。
世間では「似たもの親子」と言われることもあり、仕事に対して互いが譲らず意見がぶつかることもある。
それでも神職としての父親をたいへん尊敬しているという。

「神職って、名前ばかりで偉いわけでもないし、みんなと違うわけでもない。ましてや幽霊が見える訳でもない(笑)。けど、じゃあ、何してるの?と言われれば、みんなの幸せを願う事を一番に考える。自分の事を置いといて人の事を思えるようになれと祖父からよく言われた。」

親から子、子から孫へ習わしを守り伝承していく奉職を選んだ千佳さんは、自分なりの解釈で新しい試みにも果敢に挑戦している。
宮司見習という立場で人と接する一方、一個人として人の為になれることに喜びを感じるようになっていた。

神に仕え、人に仕え、神社に代々受け継がれる歴史と伝統を継承していく。

「ただ、皆の幸せを祈ること。」

実直な思いは どこまでも清廉に澄んでいる。

宇流冨志禰神社

information

宇流冨志禰神社
〒518-0713 三重県名張市平尾3319番地
電話番号:0595-63-0486、0595-64-0659
http://urufushine.jp

一覧へ戻る