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どうして名張に?どうしてここを選んだの?


 

こんにちは。2013年に東京都世田谷区から移住しました菅井美幸です。
夫は新宿生まれ、娘は渋谷生まれ、私は福岡の八幡(八幡製鉄所のある工業地帯)で生まれて 、19歳から46歳まで東京で過ごしました。

そんな菅井ファミリーに地元育ちのママ友は「どうして名張に?どうしてここを選んだの?」とびっくりのご様子。なぜでしょうねぇ~?
これはもう、縁あって、としか言いようがないのですが、私は都会から名張への移住は、相性が良いと思います。だからうまくここに流れ着いたのだと思います。
「名張なんにもないでしょ」とママ友は言います。「え、でも商業施設はたくさんあるし、何も不自由ないよね」と私。「そうかな、でもまあ野菜は美味しいし、空気だけはいいけどねぇ~」とママ友。

東京にいたって、たくさんのショップや商品があったって、買えるものはどうせ給料の範囲内なんだし、服だって着る身体はひとつなんだよね。レストランがたくさんあっても際限なく食べるわけにもいかないし(太っちゃう)

名張には東京にないものがたくさんあるよ。
温かく、礼儀正しく、ほんわか気質の三重県人。きれいな空気と水と、採れたての野菜が確実に、日々の心と身体を満たしてくれるよ。

東京砂漠からやって来たばかりの頃、「何?この奥ゆかしい言葉使い!?」「接客業、ナチュラルスマイル!?」「はっ!スーパーでカートがぶつかりそうになっただけで頭下げてくれる!」「はっ!車、道メッチャ譲ってくれる!!」と驚きの連続
だった私達。

癒されました…ありがとう。

もしかしたら名張人が優しいのは、地に育つ作物が良いからかも…この地の持つエネルギーが、人間によい作用を及ぼしているのかも…
と、私は思っているのですが、どうでしょうか。

この記事を書いた人

菅井 美幸

菅井美幸。1968年生まれ。メキシコや世界のあちこちと東京を食べ歩いたその勢いだけで、29歳のときにバルバルを開店。都内唯一の、アボカド料理が人気のダイニングとなる(その後アボカド料理屋は都内でも林立)。個性的なセンスが老若の女性に受け、16年に渡って店を営業。41歳で長女を出産。46歳で名張に移住。ほぼ野菜だけでも作れる料理を提唱し、名張市でワンディカフェの出店や出張料理を行う。子育てと自身の病気の経験から食養生と薬膳を学び中。